涙で枕が凋むほど。(ノンフィクション)

おじいちゃんが亡くなりました。
帰宅して訃報を聞いた時は、驚いたけど、悲しいって感じじゃなかった。
何故だろう。小学生のころから別の家に移っちゃったから、あまり話したことはなかったからかも。
そんな事を思いつつ、おじいちゃんの家へ行く。

その宅のある一室では、ベッドの上に横たわるおじいちゃんの姿があった。
病名は忘れた。
生きてるか、死んでるかの基準で考えれば、それはきっと些細なことだから。
もちろん、病院ではなくここにいるということは亡くなっていることになるし、亡くなってるってことは前もって聞いていた。
でも、びっくりした。
だって、今にも動きそうだからだ。
胸の上で手を組み、安らかな寝顔をしている。
寝てるだけ、ちょっと揺すれば目を覚ましそうに見える。
現に、俺にはおじいちゃんの胸が、呼吸でゆっくりと上下しているように見えた。(もちろん、そんなのは錯覚で、動いているはずはなかった。)
おじいちゃんの胸倉にそっと手を当てた。
今日逝ったばかりのおじいちゃんの胸は、まだ温かかった。
そして次に、おじいちゃんの手に触れた。
――しかし、その指先は、胸と違って全く熱が篭っていなかった。
「冷たい」
どんなものよりも冷たい気がした。自分の指がそれと触れた瞬間、俺はぞっと身震いした。
漠然と「これが死なんだ」ということを知った。この冷たさを消すことは出来ない。
――死と言うのは、どうやら指先からやってくるらしい。血の気のない指先は、精巧な作り物のようにさえ見える。最後には心臓までも絶対零度よりも冷たいこれに蝕まれ、凍てつくのだろう。
そう思った瞬間、初めて目の前の人の死に気付けた気がした。
ここ数年、おじいちゃんとの思い出はほとんど無に近かった。
だから、思い出という思い出は昔の、本当に幼い頃のことしかない。
でも、多分俺はそのほとんどを思い出すことができない。いや、結構思い出せてたのかもしれないが、しかしそれは絶対に「全ての思い出」ではない。
それを思い出せなくて、悔しくて、涙が出てきた。あるいは、この言いようのない「悔しさ」を世間では「悲しさ」というのかもしれないが。
やがて、白い棺が運ばれてきて、おじいちゃんはベッドからそちらに移る。(移す)
何度みても、やはりその口元は静かに笑みを讃えていて、誇らしげにさえ見えた。
多分、腐敗を食い止めるためであろうドライアイスが、俺には「死」が形になったように見えて、――「死」を急がせているように見えて仕方がなかった。(もうとっくに死んでいるんだから妙な話だが)
棺のフタを閉め、それから俺はおじいちゃんの顔を見ていない。



次に会うのはいつだろうか?
自宅への帰り際、ぼんやりと俺はそんなことを思った。
泣きすぎて、今はとりあえず涙は出ない。
悲しみとか、そういうのは別になかった。
悔しさも、やがて消えた。
消えてしまう心に対して、怒る心もない。
残ったのは、虚無感と疲労感。
そして、言葉に表せない、あらゆることに対する疑問だけだった。